玉響*花心風

「たまゆら*かしんふう」ひきこもりメンヘラ腐れ喪女がなんか書きなぐってます。

無料でゲームとかできちゃうのが嬉しいけどこわい

 

イベントってなんでこう重なることが多いのでしょうか。

かちかちクリックとペチペチを並行作業。

肩がこります。

 

あ、わたくし審神者兼人類最後のマスターやってます。 

 

こういうものです。つブログの書き手「玉響火詞」(たまゆら ひふみ) - 玉響*花心風

 

 

アプリゲーム(やプラウザゲーム)は「え、無料でこんなできちゃっていの?!」となるものばかりでいやはや時代の流れを感じます。

(刀剣◯舞はクリックゲーとかしてるけれどね(遠い目))

 

据え置きが普通だった時代は本体に数万円、ゲームディスクに約1万円ぐらいかかっていました。ゲーム一作品買うのにすごいドキドキして、ゲーム屋にいった記憶。

 

懐には溜め込んで捻出した諭吉さん。

気分はまさに銀行の輸送車の運転手でした。

 

 

が今では課金システムはあるものの。

昔のゲームそのままのようなアプリゲームがもうわんさかと。

(中にはいやもうこの形式のゲームお腹いっぱい…というのもありますけれどね)

 

時代の移り変わりに呆然とする半ひきこもりです。

 

進歩に追いつける気がしません。

 

わたしの中ではPS2が据え置きゲーム機の最後の姿なんです…

PS3とか4とか。ついていけない。

 

 

個人で制作されているフリーゲームも高レベルな作品がうほうほと。

制作側の参入の敷居が低くなっているというのもあるのでしょうね。

 

お金払わなくていいのかな…

 

今の時代の若い子にはうらやましさを感じるのと同じぐらい「たのしくかんじること」の敷居が低くなりすぎて、そのうち何にも楽しめなく成っちゃうんじゃないかなぁと思うこともあり。

 

創作物にお金を払ってクリエーターに還元する、というのを昔はまったく意識していなかったけれどもしていたわけです。

でも、今は必ずしも直接的にお金を払わなくても(たとえば広告をクリックする、見る、誰かに紹介するなど)という形で意識せずとも還元していて。

 

たとえばソーシャルゲームだったら課金しなくてもゲーム自体は楽しめるし。

フリーゲームだったら無料なわけで。

 

なんていうか「ゲーム自体」にお金を払っているのではなくて、ガチャを回す券を買っているという意識になってるんじゃないかなぁとFGOというソシャゲをやっていてふと思いました。

 

というかわたしがそんな感じです。

 

hibikaze.hatenablog.com

 

 こんな記事を書いたのですが、

 

起動しなくなってはじめて。

 

「そっか、これ無料のソーシャルゲームだった」

という当たり前の事実に思い至ったわけです。

 

ゲームのシステム自体遠い場所にあるサーバーにあって、

セーブデータも手元にあるわけではない。

 

端末で識別しているだけ。

 

またゲームプレイ自体は無料。

 

ゲームの向こう側にリアルに人がいる、

 

ということを感じ取ったんですよね。

 

多くの人が関わった創作物をタダで楽しませてもらっていたわけです。

(課金システムは除く)

 

タダというのは「やってみようかな」という気にはなりますし、一ユーザーとして楽しい限りです。

でも、「創作物」に対して「お金を払う」ということの意識がなくなってしまう危険な面もあるのではないでしょうか。

 

戒めも込めてつらつらと書き留め。