こちらの記事を読ませていただいて思ったこと。
「わたし、女だけど。小学生女子児童に不審者と間違われたことあるよ」
当時、大学三年生(だったと思います)。
自宅から家まで徒歩で一時間以上かかるのですが、なんとなく歩いて帰ろうという気持ちになり道路の脇を歩いていました。
時刻は夕方ぐらい…いやお昼ごろだったのか。
小学生ぐらいの子たちが歩いていたのでたぶん、夕方だったんだと思うんですけど、とにかくまだ明るい時間だったように思います。
駅の近くの道なので、田舎とは言え車通りは多く、歩道はちゃんと整備されていなくてでこぼこしてました。
一限目から授業だったのでめちゃくちゃ眠くてぼんやりとしつつふらふら歩いていると、前方に小学生中学年ぐらいの女の子の背中が迫ってきます。
(迫ってきますというか私の歩くスピードがその子達より早いので正しくいうと迫っていたのは私の方なのですが)
歩道は整備されていない、白線が引かれただけで狭くて、道路に飛び出て、追い抜くには車通りが多くて(どうしようかなー)と思いつつ一定の距離をあけつつ後ろを歩いていたんです。
そしたら、女の子の片方がこちらをちらりと振り向きました。
たぶん、背後でわたわたしている不審な気配に気がついたんでしょう。
視線があったときその子はすごくこわい目をしてこちらを睨みつけてきました。
そして隣の子に何事か話しかけながらこちらをちらちらみてきます。
(なんか感じ悪いな~)
と思っていたら、ふいに二人で走り出して先の道を左に曲がっていきました。
ぶっちゃけ驚きました。
脱引きこもりを目指しているときのリハビリの散歩のときに近所の人に「なにあれこわい」とこそこそいわれたときと同じぐらいびっくりして、
そして、次に「はぁ?!なにあれ」という怒り。
「そんなに私ってきもちわるいのかな?おかしいのかな?」という不安と恐怖。
それからしばらく情緒不安定になりつつ加害妄想に脅かされました。
まぁ、思い返すとあのときからメンタル病みはじめてたんだろうなぁという感じだったので、敏い子供は「あ、この人やべぇわ」ってなんとなくわかるんだと思います。
あとあと、「警戒されてもしかたないよな」と納得しました。
でも、急に走り出されて怒りを抱いたのも傷ついたのも忘れられません。
「女の子供は男をみたら不審者と思えっていわれてんの???」という内容の言葉をネットの各所で見かけますが、上記のブログにかかれているように「老若男女関係なく知らない大人は皆疑え」と教えられているんだよコノヤロウ!!と涙目で正したい気持ちで一杯です。
世知辛い世の中にした犯罪者どもを憎めよ…
遊んでいる子供を「かわいいなー」「なごむなー」という気持ちで見ているだけでもこそこそいわれる世の中です。
危ない人間の見分け方、なんて簡単にできません。
女の子の顔にスプレーをかけた男性の事件がありましたが、犯人の見た目はどこにでもいる真面目そうなサラリーマンだったそうです。
一見して「こいつまじでやべぇやつだわ」と判別できる危険な人間もいますが、大半の悪意ある人間、意図的な害意ある存在は「どこにでもいる人間」を装いますし、「どこにでもいる人」が「悪意、害意ある存在」になることもあります。
大人だって判別できないのに、それを子供に求めるのも酷なもの。
何か事件に巻き込まれてからは遅いので親御さんは「みな疑え」と教えるしかないのだと思います。
「被害者がそんなところにいたから悪いんだ」という被害者パッシングもよく目にしますし、もう全国民みな武装するかリアル世界にアンドロイド実装して外出、労働はぜんぶロボットたちに、生身の人間は外出禁ずる、ぐらいしないといけないのかもしれません。
悪意ないのに子供に逃げられた、というのがショックなのはめちゃくちゃわかります。
正直泣きました。
むかつきました。
子供の意見だけ聞いて「冤罪なんてことも在り得るかもしれない」という被害妄想にも「誰かに疑われているのかもしれない誰かのストーカーをしているかもしれない」加害妄想にもおそわれました。
でも、これで子供を責めるのもその親御さんを責めるのもたぶん根本的解決にはならないのだと思います。
疑われたということに対して、悲しみや怒りという感情を抱くことはおかしいことではないけど、批判する相手はたぶん違うんです。
知能指数が低いんでうまくことばにできないんですけど…
あとメンタル豆腐なので思い出して凹んできました…
せきゆおうになりたい…