ほら、結局また気がついたら自分の「内側」のことしか語ってない。
現時点でのブログの投稿記事数は15。
ざっと読み返すと身悶えたくなるようなことが書いてあるけれども
黒歴史として背負っていくことを決意…できるかな。
(耐えきれなかったら削除するかもしれない)
ひっそりこっそりとネットの片隅で息を潜めるように存在しているこのブログに来てくださる読者の方々には感謝感激雨嵐です。
記事を読み返して思ったこと。
「体験」ではなく「思考」や「感想」を中心にしか書いてない。
視点が自分の内側に向いている感じの記事が多い。
というかそれしかない。
自分に自信がないくせに。
自分のことがあまり好きではないくせに。
「内側」のことをべらべら書き散らして
誰の目にもとまるともしれないネットの海に放流している。
ある意味で、露出狂みたいなもんだなと。
外の出来事や他人に関心や興味がないことが再確認できた。
劣等感は高すぎる自尊心の裏返しとも聞くけれども、わたしも案外そうなのかもしれない。
ネットでこんなこと書いてるぐらいだから社会的承認が欲しくてほしくてたまらないという気持ちは否定できない。
家族と病院関係者以外とここ数年まともに話していないから、
そうではない誰かの目に止まりたいという気持ちはある、と思う。
もうひとつ考えられるのは自分の内側の状態を観察することがクセになってる可能性。
たしか「自己観察」という言葉にひかれて中学二年生ぐらいからはじめたことがクセになっていて…だめだ。思い出したくない記憶だこれ。
ともかく、たびたびいろいろな状況とその中に置かれた自分の内部を思い返したり、可能な限り距離をおいて観察してみたり…というのがクセになってる。
自分の言動にいちいち「わたしは◯◯と思っている(考えている)からこうしているのだろうか」「これは結局◯◯と思われたいから」などなど考えてきた。
これ一般的だと思ってきたのだけれども、基本的に社会的活動に忙しい(自分の外側にエネルギーが向かっている人)たちはそうでもないことをここ数年で知った。
心理学者ユングは人間には内向的と外向的とがあって、
これは内気であるとか社交的であるとかとは関係なく
自分の内側にエネルギー(興味など)が向かっている人=内向的
自分の外側にエネルギー(興味など)が向かっている人=外向的
とした。
という学生時代に頭に詰め込んだ記憶がばっと出てきた。
確認してないから間違ってるかもしれない。
それならわたしは確実に前者だ。
自分の内側にエネルギー、興味が向かっている。
でも、別にまったく他人に興味がないというわけではなくて
外向的な気分になる時もないことはない。
内向型と外向型はその2つがぽつりと孤立してあるわけではなくて
直線状に向かい合っているようなもので、真ん中の人、内向型によってる人、外向型によってる人、気分によって立ち位置が変わる人。
いろいろいる。
という記憶。
マーティ・O・レイシーの『内向型を強みにする』に詳しく書いたあって気がする。
だいぶ前に読んだっきりでしかも電子書籍だったからあまり記憶に残ってない。
(紙の本も記憶に残らないけど、電子書籍よりはマシレベルで記憶が残る)
Kindleアプリに入ってるはずだから読み返したい。
↑Kindle版の方が安いけど、個人的には紙の本でも欲しい。
電子書籍はまだなれないせいか目が滑る…
著者は外国人だし日本では適応できないこともあるだろうけど、
内向型、外向型関係なく「自分を知ること」の手助けになる一冊。