玉響*花心風

「たまゆら*かしんふう」ひきこもりメンヘラ腐れ喪女がなんか書きなぐってます。

コンビニ成人向け雑誌騒動でひきこもりオタク喪女が思い出したこと。喪女でもセクハラには合うんだよ

 

 

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玉響火詞(たまゆらひふみ:@senka7775)です。

 

ninicosachico.hatenablog.com

桜島ニココさんのこちらの記事を読んでいろいろと思い出したり、思うことがあったので書いてみました。

 

私は幼い頃に三次元の大人向け、つまりアダルト系を目にしてしまったことがあるのだけれどもそれほどショックを受けなかった記憶がある。

「へぇ、こんな世界があるんだ」とたぶん性知識がないのと頭の足りない子供だったのもあって、どういうものかわかっていなかったからだと思う。

 

ちなみに内容はSMものだった。

 

つまりは個人差があるのだと思うけど日本のアダルト界隈はかなり特殊性癖モノが多いので、まず最初にちゃんとした性知識がない状態で見てはだめだと思います。

(特殊性癖(SM、すからはじまるアレ、などなど特殊性癖を否定するつもりはありませんが中には知識がないと危険なものもありますので)

 

本格的にアダルティな内容はBLから入ったので女性も尻穴に突っ込まれるものだとおもってt(r 

 

 

 

とりあえずまずは私のことを書こうと思います。

セクシャルについて語るにまず語り手の立場を明確にしておかないといろいろと混乱や誤解が起こると思う、という個人的見解からの判断です。

鬱陶しい人はバイバイサヨナラ・グッバイ

 

目録

 

 

 「わたしのこと」

恋愛感情が抱けない

喪女で腐女子でということは書いてきているけれども、私はヘテロ(異性愛者)かというと多分そうでもない。

 

夢女子(ぐぐってください)でもあるし少女漫画も百合作品もだいたいなんでも読めるしさん次元の俳優さんにキャッキャすることもある。

 

でも、誰かに恋愛感情をいだいたことが一度もない。

 

憧れならある、敬いならある。

でもたぶんそれは恋愛感情ではない、と思う。

異性にも同性にもそうでない人にも恋愛な意味ではときめかない。

いやときめくことはあるけど別にその人の隣にいたいとか思わない、というのが正しいのかな…?

 

言葉にするのが難しいです。

 

 

友達ゼロぼっちな私が参考にできるものは恋愛漫画や小説しかないけれども。

 

恋愛関係には憧れるし、小学生ぐらいのときはいつかは自分も…なんて痛いこと思っていたけれども実際に自分に置き換えることができなかった。

ありえねぇーという気持ちで胸がいっぱいに。

 

 

好かれたいけど好かれたくない。

身体的な性別もこころの性別も女、だと思う。

社会でいわれる「女らしさ」に対してめんどくさいとは感じるものの違和感はいだいていない。

 

人にちやほやされたいけど、異性に求められたいとは思ったことはない。

肉体関係を求められたらたぶん気持ち悪いと嫌悪感をいだいてしまう。

 

アセクシャルというものも存在するしそうではなくて性嫌悪なのかもしれないと思ったこともあるけれどもまだ自分でも判断がつかない。

hibikaze.hatenablog.com

 

社会的経験が少なく、精神が幼いからの可能性もある。

対象が自己愛で止まっているのかもしれない。

 

現状は、恋愛も情欲も三次元には抱けない。

 

 

「女」であることを 意識していなかった

 それに加えて、

つい数年前まで私は自分が女体持ちであることを意識していなかった。

 

だから男性向けのアダルト界隈も受け入れられたのだと思う。

見てもきもちわるいとか痛そうという感情は抱いても嫌悪感を抱くことはなかった。

「別世界の出来事」という感覚で自分とは切り離してみることができていたのだと思う。

 

この時点では、(二次元という限定的であるが)女体持ちであるが女体をおもちゃにすることに嫌悪感がなかったということになる。

 

だけど、ある時わたしの下ネタ話ではなくわたしの身体をネタに下ネタ話をされたことがあった。

 

第三者の女の子(多くは二次元の架空の子)のここがエロいよね、かわいいよね、という話ではなくて「◯◯ちゃんってこういう格好しない?膝枕とかしてほしいんだ。アダルティなこt(自主規制)」という感じで。

 

 

なんだかすごくずーんときた。

これまた言葉にできなかったのだけれども心にずんずんきた。

 

気持ち悪かったのか、悲しかったのか、悔しかったのかよくわからなかった。

もしかしたら全部かもしれない。

 

その時は言い出せなかったけれども、「やめてほしい」と思った。

 

それまで「別に成人話に持ち出されるぐらいいいじゃない」

話のネタにされるなんて光栄じゃないか、と「評価する視点」からモノを考えていた。

 

でも、この経験を経て、

 

これが、世の中の女性の気持ちなのだと。

おもちゃにされる側の気持ちなのだと。

 

気がついて今までの自分の無配慮で無遠慮な言葉に後悔した。

たくさん女性を傷つけてきたことに気がついた。

 

 

それからいろいろな記憶が蘇ってきて「あ、あれもこれも、もしかしてセクハラだったのかも」と気づくことができた。

してきた事もされてきたことも両方。

 

 

と、まぁここまで全部、自分語りになっちゃいましたね。

しかも無駄に長い。

 

あ、ちなみに私

 

表現規制は反対、ゾーニング派です。

 

今のところはね。

表現規制を国が率先にしてやっていい結果が生まれる気がしないのです。

というか誰が何を基準にどうやって規制するのかという基準を作るのが難しいですし、個人的な価値観を持ち込みやすい。

 

だからこそゾーニングをしよう派。

 

コンビニで成人本は売るなとはいいません。

置いているのは需要があるからでしょう。

 

ただあまりにもアダルティな内容や過激な煽り文句がついた表紙が未成年の目に触れるのを避けるようなシステムを作って欲しいというのが個人的希望です。

 

 

「女」であるということ

私は長い間「おもちゃにして遊ぶ側」に立っている「気になっていました」

自分もまた「女体持ち」の「女」であるという自覚がなかったのです。

鈍いというかなんというかやはり頭がいろいろ足らなかったのだと思います。

 

実際に自分がされてみないと理解できなかったのですから。

 

「おもちゃにされる側」だと体感してから様々なことが怖くなり、世界はいっそう恐ろしくなりました。

ひきこもり度がアップアップ。

 

かつては大丈夫だった内容の男性向けアダルティ漫画がダメになりました。

体感するまで「いや別にこれぐらい二次元だし問題ないでしょ?」と思っていたし、「おぞましい!」という人が理解できなかったけれども。

 

「おぞましい」「こわい」「きもちわるい」

 

こういう感想を抱く理由を理解できるようになりました。

 

コンビニに置かれている成人本を”おぞましい”と感じる人の気持がわかるように

 

「おもちゃにされること」を体感した以降、コンビニに置かれている成人本を「嫌だ」と思う人の気持ちが痛いほどよくわかるようになりました。

 

言葉にはできないのですが、「たぶんこんな嫌な感じがするんだろうな」「こんな感じで怖いんだろうな」と共感できるようになったというか…

 

今までむしろおっさんのごとく「うへへ…」という感じだったのが視界に入るだけで「うわぁ…」となるようになりました…すごい変化だと自分でも思います。

 

 

上記に貼った桜島ニココさんの記事を読んでふと思い返してみたら自分の「女体」をネタに下ネタを繰り広げられる(というか「◯◯ちゃんは【大人な行為】したことないの?」ということも聞かれたのでセクハラだと思ってます)という他人からみたら些細なできごとですが内心ではすごい変化が訪れました。

 

でも遅かれ早かれ女体持ちの女として産まれてきた時点でいずれ訪れる変化だったのだと思います。

 

気づいていなかっただけでそれ以前にも「あ、あれ痴漢だったのか…」という出来事もありましたし…喪女でも「女体持ち」というだけで被害に合うことはあるのです…