わたしは人を好きになったことがありません。
誤解がないようにいうと恋愛感情を抱いたことがないのです。
尊敬する人ならいます。
憧憬を抱く人ならいます。
家族は大切です。友人知人も大事です。
飼い猫たちだって立派な家族で愛してるといえます。
家族愛。兄弟愛。友情。親愛。敬愛…
それらはわかります。
恋愛漫画や映画、小説をみて感情移入することもあります。
でも、実際に生身の誰かに「恋愛感情」を抱いたことはありません。
異性にも。同性にも。
恋愛感情を抱かないのは心が未熟だからなのか
恋愛感情を抱かない。抱けない。
疑問におもってインターネットで検索してみると、
わたしの他にも同じように悩んでいる人がいました。
その人の問いかけの答えには
「好きになれる人に出会えてないだけ」
「恋愛する余裕がないのでは?」
など、さまざまな回答が寄せられていました。
その中で、もっとも目を引いたのは、
「あなたのこころが未熟だから、
誰かに興味をもてないのでしょう」
という主旨の答えです。
わたしのことを言われてるのではないかと思った
すごく胸にささりました。
これはわたしのことではないかと。
わたしは精神的に未熟だから、
恋愛感情を抱けないのではないかと。
たしかに、わたしは「わたし」「わたし」と
自分のことにしか興味がない。
自分のことで手一杯で、
他所に目を向けている余裕なんてありませんでした。
ひきこもっていましたし、
それ以前も狭い人間関係しかしりません。
だから、世間知らずなのは事実で。
だから、好きになるような人に出会えていないのも事実かもしれない。
でも、悩みました。
「恋愛感情を抱かない」=「未熟」なのか?
もともとなかった自信と自尊心が削られていく音がしました。
恋愛感情を抱かないことはこころが未熟なのか。
誰にも聞けませんでした。
だって、世間には恋愛をテーマにした作品が溢れていて、
男女は結婚して、同性婚も認められつつあって(まだまだ道のりは遠いけど)
「恋愛することは普通」という常識でいっぱいで。
男女は手を繋いで歩いてるし、
抱きしめあってる。
キスもしてる。
苦しくてわけがわからなくて。
きもちわるくて。
そんな時に「アセクシャル」という言葉と出会いました。
アセクシャル(Aセクシャル)とは?
Aセクシャル=他人に対して性的魅力を感じないこと (現在の世界的な動向です。)
恋愛感情を感じるかどうかについて関係なく、「Aセクシャル」となります。
恋愛感情を感じないAセクシャル=aromantic asexual(アロマンティック アセクシャル)
恋愛感情を感じるAセクシャル=romantic asexual(ロマンティック アセクシャル)・・・という言葉で表されます。
<日本独自の動向>
日本独自の傾向としては、
Aセクシャル=(狭義のAセクシャル)=他人に対して恋愛感情・性的魅力を感じないこと
ノンセクシャル=(広義のAセクシャル)=他人に対して恋愛感情を抱くが、性的魅力を感じないこと出典
Aセクシャル(アセクシャル、エイセクシャル)とは?asexual.jp-Aセクシャル(アセクシャル・エイセクシャル)情報サイト
この「アセクシャル」という言葉と出会って、
「名前がついている」「世界にもたくさんいるんだ」
と思えて、少しだけほっとしました。
「アセクシャル」と決まったわけではないけれども。
恋愛することが当たり前のように溢れている中で
恋愛感情を持たない、というのはなんだかすごく場違いな世界で、
生きているようで苦しかった。
でも、別にそれは特別なことでも。
おかしなことでもなくて。
名前も定義もある。
セクシャル(性の多様化)の一つなんだ、
そう思えていきぐるしさがほんのすこしだけ軽くなりました。
もちろん、「そうだ」と決まったわけじゃありません。
主観的に見て「アセクシャルかもしれない」と感じただけ。
自分のこと以外にも興味がもてる日がくるかもしれない。
誰かに恋愛感情を抱くことがあるかもしれない。
未来のことはわからない。
でも、今までも今も恋愛感情は抱いたことがない。
加えて肉体的接触はきもちわるいと感じてしまう。
そんな自分をおかしいと思っている時期がありました。
でも、別におかしいことではない、と「アセクシャル」という言葉を知ったことで
すこしだけ楽になりました。おかしなことではないと思えただけで。
一つの言葉。定義を知った。
それだけでいきぐるしさが、
居心地の悪さがすこしだけだけど軽くなりました。