こもりみち*たまゆら

ひきこもりコミュ障メンヘラオタク女の生存戦略日記

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憎しみも恨みも苛立ちも否定しなくていい。感じたことそのままみとめることが大切。

 

昨日、出張にいっていた兄と

入院していた祖母が帰ってきました。

 

二人いないだけで、

いろいろと楽でした。

 

 

目録。

 

 

 

家事に関しては、

  • 洗濯物や食器の洗いモノの数が減る。
  • 食事の時間や内容を気にしなくてもいい

(残った家族は気にしなくてもいい)

 

他にも。

  • 祖母の愚痴を聞かなくてもいい
  • 隣室なので圧迫感がない

  などなど…

 

もちろん、家にいないぶん

やることが増えたことも

面倒だと感じたこともあります。

 

でも、デメリットよりも

開放感の方を強く感じました。

 

家族でも気の合わないことはある

家族だから、血がつながっているのだから

とそれほど気負わなくてもいいのかもしれない。

 

と最近思っています。

 

万人に好かれる人間は存在しないのと同じ。

家族だろうがどうしても合わないこともある。

 

だからといって、暴力や暴言などの虐待を

してはいけないけれども。

 

適切な距離を置くのは間違ってない。

 

と思う。

 

距離を置くことで相手の大切さを感じることもあるし、

お互いに心に荒波をたてずに接することができるかもしれない。

 

いけないのは「◯◯であるべき」という固定観念

たとえば、わたしが言われてきたことは。

孫は祖父母に優しくするべきで。

動けなくなったら介護するべきで。

女の子は大学にいかずに

高卒ではたらいで家にお金をいれるべき。

女の子なんだから家の手伝いはするべき。

 

などです。

 

ほとんど祖母に言われた言葉ですね。

本人は軽い気持ちで口にしたのかもしれません。

 

ただ、幼い頃から何度も言われ続けたので

「おばあちゃんの言っていることが絶対」

「お母さんたちが間違っている」

と長いこと思い込んでいました。

 

たしかに、そうであった時代もあります。

祖母が若いころの考え方なのでしょう。

 

でも、時代は変わる

これは自分にも肝に銘じたいことだけれども。

時代はつねに変動する。

考え方も価値観も移り変わっていく。

家族のあり方も。

 

「絶対に変わらずあり続けること」

 

というモノはそうそう存在しない。

 

平成生まれのわたしが幼いころと、

今を比べるだけでも世界は一変した。

 

パソコンが一家に一台どころか一人一台。

スマホの存在。ウォークマンの登場。

VOCALOIDという電子歌姫の人気…

想定外な大津波に大震災。安全神話の崩壊。

 

想像していなかった世界が

目の前にあって。

今そこにわたしは生きている。

 

たぶん、東京オリンピックが開催されるころは、

もっと世界は変わってる。

 

それはいい方向にかわるい方向にかはわからないけれど。

 

祖母の考え方もあり方も。

否定はしない。そういう生きた方した人もいる。

そういう生きた方を今している人もいる。

 

それは受け入れたい。

 

でも、わたしは違う生き方をしたい

 

あなたとは性格が合わないから

もっと適切な距離をとりたい。

 

家族だけど。

血のつながりはあるけれど。

 

でも、合わないところもあって

辛いことが多いから離れたいという気持ちがある。

 

現実的には経済的心身的そのほかの理由で無理だけど。

別に「家族に対して、祖母に対していやだ」と思うことに対して

罪の意識を感じる必要はない。

 

人間はアンビバレント、矛盾した生き物だから

好きであって嫌いであっていい。

 

こころは複雑なものだから、

すきときらいがあってもいいんだ。

 

最近、ようやくそう思えるようになった。

「絶対にそうであるべき」という考え方は

なかなか抜けないけれども。

 

きもちは少しだけ楽になった。

 

今回のことで、祖母の存在が

どれだけ心によどみを生んでいた実感して

ますますその気持ちが強くなりました。

 

家族だからとこだわって

無理して一緒にいて

無理して笑って

我慢してごまかしても。

 

ますます、つらくなって。

ますます、きらいになって。

さいごには憎しみまで抱くようになる。

 

そうなる前に距離を置くことも、

「そうであるべき」という考え方をやめて

自分の感情を受け入れることもしていい。

 

もちろん、暴言暴力DV虐待は駄目だけど。

自分で自分を縛らなくてもいいし。

嫌いだという気持ちを否定しなくてもいい。

 

ひきこもり、うつ、不安症と自問自答と他問自答

 

三年という時間をかけてようやくそれを許せました。

 

もし同じように苦しんでいる人がいたら

なんの力にもなれないし、なれないかもしれない。

うっとおしく思われるかもしれないけれど。

 

「抱いた気持ちを許していい」

 

と伝えたい。

 

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