「普通なら」もう子どもを生んでいる年齢。
「普通なら」もう結婚している。
この年齢になるとこんな耳に痛い言葉が胸に突き刺さりまくります。
多様性が叫ばれて云年。
しかし、いまのところ社会に蔓延する価値観は保守的に感じます。
◯「結婚」することが幸せなのか?
結論:人それぞれ
なんでしょうけれども、人生の幸せ、もしくは最終的目的=結婚
という公式はまだまだはびこっている気がします。
結婚ってゴールではなくスタートだと思うんですけどね。
こちらの記事で書いたように、わたしは恋愛感情を抱いたことがありません。
結婚というもののすべてが「恋愛感情ありき」で行うものであるとは思いませんが、
恋愛結婚という言葉があるようにそういった感情を相手に抱いているから結婚したい、という考えが前提にあるように思います。
そうすると恋愛感情を抱いたことがないわたしには「けっこん?なにそれ名探偵呼ぶ?」としかいいようがありません。
◯「普通」って何さ
「普通」の定義は時代によって異なります。
現代では多くの人々の手には小さなパソコンともよべるスマホがありますが、
ほんの数十年前までスマホどころかパソコンやインターネットが一般家庭に普及するなんて考えもつかなかったことだと思います。
今の「普通」と昔の「普通」はやはり絶対的に違います。
◯「価値観」の変容についてこれない人々
悪い言葉でいえば老害、と呼ばれる人たちですね。
とはいえ、情報社会となり価値観が刻一刻と移り変わる現代において、
みなどこかしら「老害」な部分があると思います。
人はみな慣れ親しんだモノに愛着を持ちますし、
基本的に変化を恐れるものですから。
でも、日本においては結婚や家庭における価値観の変容に対して保守的すぎる部分があると思います。
悪く言えば閉鎖的。頑固で偏屈ですかね。
◯「結婚」しなければ不幸なのか
本人が決めることであって、他人が口をだすことではない、
と思います。
「結婚」を夢見て、でも結婚できなかった人がいたならばそれは不幸でしょう。
でも、「結婚」せずひとりでのびのびと暮らせる人がいたならばそれは幸福でしょう。
前者は「それでもわたしは幸せだった」と思っているなら幸福でしょうし、
後者は「やっぱり、結婚したかった…不幸だわ…」と思っているなら不幸です。
不幸が幸福が他人が決めつけるのは不毛ですし、
人生の中で何か一つの決断を悔やむこともあるでしょう。
一概に、「◯◯をしないのは不幸だ」「◯◯をすれば幸福だ」とはいえません。
もし、「結婚をしないと不幸だ」の背景にあるのが独身者に対する世間の冷たい意見であるのであらば、悪いのは結婚をしない人間ではなく、世間の冷たい意見の方ではないでしょうか。
(あと、いつも思うのですが「子どもを産んでいないのに年金をもらうのはおかしい」とかいう意見を耳にすることがありますけれど。
多くの独身者も税金を払っていて子供の社会保障にその税金が払われている以上、「何もしていない」「子育てに貢献していない」とはいえないのではないかと思います。
独身者が「年金いらないから子供の教育、育児に対する保障分の税金を返せ」となったらお互いに困りますし、めちゃくちゃ不毛な意見だと思います)
ブログを書いてるナマモノ