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玉響*花心風

「たまゆら*かしんふう」ひきこもりメンヘラ腐れ喪女がなんか書きなぐってます。

変化を恐れるメンヘラ女の独り言。

メンタル(ひきこもりあれこれ) 花信風(雑記) 断捨離(お掃除について)

 

 

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変わらないといけないのだとはわかっている。

変わることは怖いことだ。

だって今まで大切にしていたものも手放さなくてはいけなくなるかもしれない。

 

変わるということは手放すことだと思う。

それは経歴だったり環境だったりパートナーだったり自分の思い込みだったりいろいろ。

 

踏み出せないのは、怖いから、ずっと、ぎゅっとしがみついてる。

今まで築き上げてきたものに必死にすがりついてる。

 

それが、自分が自分を否定する要素のひとつだとしても。

 

「現状維持」という安寧から抜け出すことが怖い。

 

もともと、人は変化を恐れる生き物

 

らしい。

そこがどんなに劣悪な環境でも慣れ親しんだ場所には違いはなく。

極端な例をあげれば、地獄に千年すんでいて、ある日突然極楽にいけるよ、といわれても「変わること」がおそろしく感じる。

 

人には適応能力も備わっている。

だから、劣悪な環境にも「慣れて」しまう。

 

慣れた場所を、モノを、人を、考えを、自分を、手放すのは難しい。

 

 

特にわたしみたいにメンタルを病んでいる人間にはことさら困難なことではなかろうか。

 

 

過去に執着してしまう

 

「今」に自信を持てない人間は、過去に手に入れた栄光にしがみつきます。

他人から見てどんなにくだらないことだとしても、本人にとっての輝かしい過去の軌跡。

 

たとえば、資格の合格証書や難関大学入学お知らせ、元カレカノから貰ったプレゼント、小学時代の友人からもらった手紙。

 

「知識」に執着している「わたし」

わたしの場合は「知識」に執着していると自覚してます。

本を手放すことができません。内容がどれだけ難しくて理解できなくても。

 

「その本を持っている自分」というのがおそらくわたしにとっての誇れる点なのでしょう。

 

容姿にも運動能力にも交友関係にも知能も成績も経歴も性格も長所がないと自認している、わたしにとっての唯一。

 

でも、「知識」は結局自分の「モノ」にしないと意味がありません。

 

知識だって、本だって手放すことが必要です。

 

一方的に溜め込むだけでは、何も変わらない。

 

よくブログ論とかで「インプット」よりも「アウトプット」を重視しろ、と見聞きします。それと同じです。

 

手に入れたものはいつか手放す時がくる。

 

極論をいえば、生まれた時に得た「生」というモノすら「死」ぬ時に手放すことになるのだから。

 

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